三輪車の思い出

大事なものって、分かっている時もあれば


無くしてから気が付く時もあります



息子が使っていた三輪車、ずっと今まで


いつも目に付くところに保管していましたが


春に引っ越す時は、とりあえずそのまま


前の家に置いて来ました


そして今回、全ての荷物を引き取るために


先週から前の家に、片付けに通っています



木曜日、娘と一緒に三輪車を見て


これは(子どもたちが通っていた)保育園に


寄付しよう、と話しあっていました


お母さん、乗ってみたら?と冗談ぽく娘が言うので


私は調子に乗って、三輪車にやっとこさ、乗りました


小さくて漕ぐのは難しかったけれど


ペダルをようやく踏んで、1mほど進みました


その日は二人で大笑いして、三輪車を元の場所に置いて


今の家に帰りました



翌日再び、荷物の整理に、前の家に向かうと


置いた場所に三輪車がありません


嫌な予感がしました


聞くと、元夫が、もう不要だと考えて


昼間に分解して、くず鉄屋さんに引き渡したとのこと



ショックでした


息子が乗った思い出の三輪車


とてもシンプルで丈夫なドイツ製でした



私は物に魂があると思う癖があります


あの三輪車は、息子が乗らなくなってからも


家の片隅で毎日息子を待っていたのかもしれない


誰にも乗ってもらえず、置きっぱなしにされているのが


可愛そうに思えて、保育園に寄付しようと思ったのです


次の日になっても私は諦めがつかず


買い物をしていても涙が出てきました。。。


そんなに大事なら、なぜもっと早く行動しなかったのか


大切さに気付かなかったことが、本当に残念でなりませんでした



最後に私が乗ることが出来たのは


何かの虫の知らせだったのかもしれません



悲しんでいても仕方ないので、考え方を変える事にしました


あの三輪車が大切だったのは、小さな息子が乗っていた


幸せな思い出があるからです


そして息子は今も私の傍にいてくれています


なくなったのが、息子ではなく三輪車の方で良かった



いつか、息子も独り立ちする日がくるでしょうが


『幸せな経験は、今もこれからも、どんどん体験していけるのだから』


そう思うことにしました


あの三輪車は、ちゃんと私の思い出の中にありますしね


デザインは少し違いますが、探しても同じものが見つからなかったので
一番似ているものを載せています